今やすっかり三朝温泉街のシンボルとして定着している三朝橋は、長さ約69メートル、鉄筋コンクリート造りで、昭和9年に架けられました。
 それまでの「大岩橋」は木橋だったため、災害によってたびたび流失し、「災害に強い橋を」という地元挙げての架設運動が実った形でした。
 設計は「関西近代建築の父」と呼ばれ、国会議事堂建設にも携わった京都大学教授武田五一によるもので、温泉街の景観との調和を図り、デザインに木橋の様式を取り入れるなど、橋上からも外側からも美しく見せる工夫が凝らされています。
 三朝橋を最も特徴づける青御影石による親柱や高欄は、全国的にも珍しく貴重であるといいます。
 また、建て替えによって現存しませんが、かつての万翠楼も武田五一の設計による桃山建築風の建物であり、一体として温泉街の景観形成が図られていたと推測されます。なお、親柱に掲げられた「三朝橋」の揮毫は、南苑寺を創建した臨済宗相国寺派管長橋本独山の筆によるもので、原本は旅館大橋に所蔵されています。

おわりに ちょっとひとこと

 毎年、年末には家族の顔を心に描きながら「おせち料理」を作る習慣にしており、今年もその料理で新年を迎えた。
 おせち料理は、山の幸、海の幸を取り入れたバランスのよい食材を使い、煮しめた料理ある。いつ頃から伝えられたか知らないが、先人の残した知恵のすばらしさを改めて痛感した。三が日も過ぎ、七日には七草粥を食べる習慣もあり、これはお正月の食べ過ぎ、飲み過ぎを癒し、一年を健康に暮らすための儀式ではないかと受け止めている。私たちが健康でいられるのは食のおかげだ。生産者の苦労も考慮し、日頃から食事を大切に、残滓を出さないように心がけたいものだ。
(知久馬二三子記)

議会広報編集調査特別委員会
委員長 知久馬 二三子
 副委員長 清 水 成 眞
委員 岡 本 岩 夫
委員 牧 田 武 文
委員 杉 原 憲 靖