三朝町の五十年余りの歴史を振り返るとき、初代町長坂出雅己氏の功績は、三朝町民の誰もが認めるところではないでしょうか。
 坂出雅己氏は、昭和二十八年十一月二十五日に三朝町長に就任。以来五期二十年間にわたり町政を担当し、産声をあげたばかりの三朝町が「二十歳」を迎える昭和四十八年十一月までの間、町づくりに奔走しました。
 今回の「みささの歴史」では、昭和三十七年四月、三期目を迎えた坂出町政が重点施策として掲げた「三開政策」を取り上げます。
〈三道政策からの転換〉
 五期におよぶ坂出町政の前半、昭和二十八年から昭和三十六年までの間に取り組まれた重点施策は「三道政策」と呼ばれます。これは、町づくりの基本は、まず社会資本の整備にあるとして、車道、索道(林道)、水道の整備を最優先に取り組もうとしたものです。
 三期目の当選を果たした坂出町長は、昭和三十七年一月の「みささ町報第88号」のなかで新年の抱負を述べ、「三道政策」による基盤整備にめどがついたとして、新しい町づくりの方針として「三開政策」の推進を掲げます。
〈三開政策とは〉
 坂出町長は、三期目の町長選挙に臨むときの公約として「経済を豊かにする町政」を実現することを目指すとして、その具体的な取り組みの柱に掲げられたのが@山林原野の開発 A温泉資源の開発 B人的資源の開発であり、この三つの開発に本腰で取り組もうということで名付けられたのが「三開政策」であったといわれます。坂出町長は、開発すべき三大資源について次のように述べています。 
---- 山林資源の開発では、畜産、果樹、林産を伸ばしていきます。和牛や梨、栗の増産により現金収入の増大を図り、一戸当たり三の人工造林や菌類やミツマタの増産により森林資源の高度利用を進めます。
 温泉資源の開発では、新しい源泉を探すため、町内でテストボーリングを実施。豊富な地下資源を開発して町民の健康保持に役立てます。
 人的資源の開発では、学校教育の整備充実により青少年教育の充実を図るとともに、「町民学校」に力を注ぎ、成人教育の充実を目指します。-----
 いずれの構想も、その後の町政推進の大きな目標となりました。「三開政策」の考え方は、機会あるごとに町政の重要施策として立案されます。昭和四十年から本格化する農業構造改善事業や植林事業、町営の温泉配湯事業、小中学校の統合充実や社会教育体制の整備など、相当の時間が経過した今日でも「三開政策」により端を発し、構築された基盤が地域を運営する原動力となっています。
 こんにちは、ヴァンソンです。今月はカメルーンからきた友達を紹介したいと思います。
 覚えてますか
 こんにちは。アカと言います。カメルーンの南西部にある地方「ブエナ」に妻と子ども五人で住んでいます。
 一九九三年には日本国際協力機構が開催した研修に参加して、五カ月の間で日本全国の火山を回って、火山活動とそれに関連するに危機ついていろいろな勉強をしました。その際、初めて三朝町にある岡山大学固体地球研究センターに来ました。その後、一九九六年から二年間、大瀬にアパートを借りて毎日自転車に乗って岡大の研究所に通って博士号を取りました。
 今回は三カ月の短い滞在期間(四月上旬にカメルーンへ帰る予定)ですが、カメルーン山という火山で採集した土のサンプルを分析に来ました。土に含まれているガスや成分などを分析して、火山活動の仕組みを理解しようとしています。マグマがいつできたか、どのぐらい速さで噴出するのかなど。火山がいつ噴火するかが予想できるようになるのはとても複雑ですが、それがわかれば、最終的に人の命が助けられるかもしれません。
 日本は多くの発展途上国の研究を応援しています。そのおかげで世界の科学的な進歩に大きく貢献しています。私は、それについてとても感謝しています。日本は技術と行政の面で素晴らい国です。
 また、母国と日本は文化と風習の面では共通点がみられます。例えば、お客さんを親切にもてなすことや祖先を崇拝したり、奉納することなどが両国では共通していて、とても似ていると思います。将来、カメルーンと日本がお互いをもっと知りあえるように努力していきたいと思います。