安全は日ごろの備えと確認から
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六月は土砂災害防止月間です。災害は忘れたころにやってくるといわれます。日ごろから家族の避難経路や自宅周辺の危険個所について確認し、話し合っておきましょう。山鳴りや、地面、がけの亀裂、沢の水が濁るなど土砂災害の前兆を察知した場合は、ただちに避難すると共に、役場に通報してください。 【通報先】 役場建設課 TEL43-3502 |
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三朝町議会を傍聴しませんか?議会一般質問が一問一答・対面方式になります。 |
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従来の一般質問は、執行部席側中央から行われていましたが、この度、一般質問を活性化させることをねらいとして、一問一答・対面方式の導入に向け、6月定例会で試行されることになりました。 この機会に議会を傍聴してみてはいかがでしょう。 【問い合わせ】三朝町議会事務局 TEL43-3511 |
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あの日、あの時 みささの歴史(1) |
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今月号から「あの日・あの時みささの歴史」と題して、三朝町の歴史的出来事を取り上げていきます。皆さんで三朝町の歴史≠考えてみましょう。 昭和三十九年六月十一日、大谷集落までのバス路線が開通しました。現在の三朝町役場から約二十キロメートル。中国山地の懐の大谷集落に路線バスが乗り入れたのです。当時の町報の記事から、大谷集落の皆さんの歓びが伝わってきます。 【町報みささ 昭和三十九年六月二十五日 一二六号から抜粋】 ……おじいさんのシワだらけの顔が笑った。おばあちゃんの細い目の奥が光る。子どもたちは無邪気に日の丸の小旗を打ち振る。……今日のこの日を何年いや何十年も夢にまでみて待ち望んだことであろうか。……六月十一日は、大谷部落にとって、まさに歴史的な日であった、バス路線が開通してへん地・大谷≠フ名が返上されたのだ。大谷│下畑間五キロの道を一時間余りで歩いたのも、まもなく昔語りとなることだろう。朝・昼・夕方と一日三往復、わずかに二十分という便利さだ。 当時、大谷集落では、二十二世帯、九十八人が暮らしていました。当時は自動車がほとんど普及していない時代だけ ![]() しかしながら、長年の住民の願いによって開通したこの大谷線ですが、五年後の昭和四十四年十月には、日の丸バスの赤字経営改善のため、県内の休止対象十七路線の一つとして提案され、町に対して申し出がなされます。【町報みささ 昭和四十四年十月二十日 一九二号から抜粋】 ……バスがなくなると、大谷・三軒屋・下畑・田代の人びとの足がすっかり奪われてしまう。明春には、この大谷から五人が本泉の三朝中学校へ新しく入学する。バスを止めないで………。℃qどもたちは心にこう叫んで、きょうもバスを見送る。……町では、いち早く、今年の2月から国・県・会社などの関係先にバスストップ反対の運動を続けている。大谷筋をもとのへん地に戻してはならないからだ。 以後、昭和五十一年には、町が過疎バス運行維持のために赤字部分の全額補てんを開始。町全体で約一千万円が予算化されました。しかし大谷線は、翌五十二年には、もとの下畑までの短縮が決定し、再び大谷集落へ路線バスが乗り入れることはありませんでした。 平成十六年度三朝町の路線バス対策費は一千七百万円。路線バスの運行は、全町的な課題となっています。 |
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